2011年03月01日

青年結集のために必要なことB

ずいぶんと、日記が開いてしまいましたあせあせ(飛び散る汗)

2/2と2/4の科学的社会主義の探求? の続きとなります。
?の意味は、私の自身のなさをあらわしている、もがき苦しんでいるという意味と思っていただければ幸いです。予定を変更して、あと2回に分けて書きたいと思います。

@少し前提的な話しとなりますが、青年期の起源とはいつでしょうか。
それは、資本主義の発展とともに生まれてきたということになります。自由な人間が生まれなければ「人生をどう生きるのか」との問いも生まれようがありません。

A公教育の誕生も考えなければなりません。人類史的に見ればきわめて最近の出来事なのですから。
ルソー以来の人権としての教育と国家権力が必要な人材を育成していくという2つの面をあわせ持っています。

B権力を握っている側が、青年を大きく結集した歴史があります。そう15年戦争はもちろん、私が最近学習した日露戦争でも「戦争支持」が世論の大勢をしめましたし、「お国にために」尊い犠牲が払われました。

C戦後の青年たちは、民主教育などその他の要因があると思いますが、はつらつとしていたことがうかがえます。私の好きな本では、その内容から想像することができると思います。

山びこ学校 (岩波文庫) [文庫] / 無着 成恭 (編集); 岩波書店 (刊)

あまりにも有名ですが、優れた生活つづり方運動の実践の記録です。

D今、あらためて青年結集に必要なことは、1970年代の後半から青年学生運動は後退の一途をたどっていることを直視することから出発するのではないかと思われてなりません。
「青年は社会を写す鏡だ」「大人社会がたたかわない、スト無し国となっているのに」という議論もありそうですが、そういう面もあると思います。
しかし、一人ひとりの子どもたちが青年に成長していく過程そのものが、様変わりしてしまっていることの方により大きな問題があると思えてならないからです。

つづく


posted by 井上 at 09:28| Comment(0) | 科学的社会主義の探求? | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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