2011年06月17日

矛盾する青年論A

現象を分析するのが、私達の任務だと思います。

しかし、私には少し荷が重いので、思っていることを書いていくしかありません。

3・11の原発事故以来、多くのデモや行動が連日のように行なわれています。
これは、私達より下の世代にとっては画期的なことです。

先日の高知での6・11 100万人アクションでは、ざっと見たところ何らかの組織に属している人が200人で、100人程度が組織に属していない人だと思われます。
直前まで、土砂降りだったことを考えれば、よくまあ集まったものだと思います。

6.11 No Nukes Action in Kochi

ネットやツイッター、フェイスブックなどを駆使し(私ではないナックスのメンバーが)参加を呼びかけました。
直前はかなりのアクセスになったと聞いています。

一人ひとりの青年が思っていることが「個人的願い」です。このままでは、行動するとはなりません。
この「願い」が同じものであるし、正当なものだと共通認識されてはじめて「要求」となります。しかし「要求」だけで、行動出来る人も少数だと思います。
もうひとつ、「実現の展望」がないといけないと良くいわれます。
こうなった時に、青年達は立ち上がるのだと言われてきましたし、実際そうだったと思います。

では、今度の現象はどうなのでしょうか。「人間として止むにやまれないもの」として、行動に立ちあがっているのではないかと私は思っていますグッド(上向き矢印)

6.11 No Nukes Action in Kochi

これからの、私達の役割はどこにあるのでしょうか。
自覚的な青年でも、日本が原発にこだわる理由としての利権構造のことを知りません。
この経済的な癒着を暴露していくことに私たちの独自の役割があると思えてなりません。

つづく
posted by 井上 at 13:24| Comment(0) | 科学的社会主義の探求? | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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