2012年07月18日

リーマンショック(恐慌論)を学ぶ企画を準備中

世界的ベストセラー「資本の〈謎〉」

科学的社会主義の立場から、リーマンショックを分析し、恐慌論研究に歴史的1ページを加えたと言われている本書。
昨年度の世界経済書ベスト5に入っていますので、ご存じの方も多いかと思います。日本語訳は、今年発売です。

この本をベースにした学習講演会を予定しています。(秋以降の予定)
ご期待ください。

資本の〈謎〉――世界金融恐慌と21世紀資本主義 [単行本] / デヴィッド・ハーヴェイ (著); 森田 成也, 大屋 定晴, 中村 好孝, 新井田 智幸 (翻訳); 作品社 (刊)
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2011年10月17日

これは面白くなりそうA 私達は99%なのだ!

ようやく、県学習協総会(10/2)での丹下先生の記念講演を皮切りにして、「帝国主義論講座(仮称)」の準備が進んでいます。

記念講演でも、「最近、レーニンは人気ないのよね〜」と先生も触れられていましたが、なぜ人気がないのかっ。もっと注目されてもよかろうに。とのことで、そもそものタタキ案が作られ始めてはや、半年以上が経過しますあせあせ(飛び散る汗)

D、ハービーが注目している数字は以下の図です。

IMG.jpg

1970年代以降アメリカの人口上位1%以上が保有する資産が急落します。
それに危機を持った資本家階級のイニシアティブにより、新自由主義の理論が力をもって有効に作用するようになります。それは、活発な資本蓄積を実現していき、見る見る大きな格差が広がっていきます。

そして、日本もその流れにのみこまれ、現在も貧困は進んでいるのです。
世界に広がるデモに、共感しながらその原因を探っていく試みが、今度の講座となります。
つづく。

PS、県学習協の会員のみなさんには、丹下先生の総会記念学習会のCDROMをお届する予定です。少しお待ちください。
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2011年09月12日

これは、面白くなりそう@

病院の生活にもなれて、本日から本格的に学習を始めることができましたぴかぴか(新しい)
たくさんの方々に感謝です。一応入院期間は10日間が目安のようですが、退院後も安静のようですあせあせ(飛び散る汗)

6月からの体調不良にて、この間は本はまったく読めていませんふらふら
学べる楽しさをただいま実感しています。「めちゃめちゃ楽しいっ」グッド(上向き矢印)

てなことで、学習協総会記念講演の下敷きである「新自由主義」デビッド・ハーヴェイを読み始めました。
なにを隠そう、私はデビット・ハーヴェイを知りませんでしたバッド(下向き矢印)
わはは。笑ってごまかすなってあせあせ(飛び散る汗)
そこで、ウッキペディアを見てみるとまったく持ってデタラメが書かれています。

S田副会長曰く、「マルクス主義の人ですよ」とのこと。
まだ、渡辺治氏の論文と訳者あとがきしか読めていませんが、(それでも60ページ)知的好奇心に引きずりこまれます。
1970年代に資本論などマルクスの文献を読み、「20世紀末のマルクス主義理論の発展」に寄与した人物と紹介されています。

私の新自由主義の理解も現在大きく発展しているところです。
ハーヴェイの新自由主義の説明によれば、従来語られてきた「国家か市場か」という対立軸ではなく、低成長時代に入った資本主義の資本家階級などの権力回復であって、「拡大再生産にもとづく蓄積」とは異なり、大企業とエリートへの巨大な富の再分配であり「略奪による集積」であるという定義となってます。ここには、「なるほどっ」と共感するところです。

現在の日本をどう見るのか、世界をどう見るのかについて大きな示唆に富んでいると思いまするんるん

記念講演が待ちどうしくなって来ました。
感想は、Aにゆずるとしてこのブログをご覧のみなさんへ。記念講演に是非ご参加ください。現在宣伝ができない状況ですので、お互いに誘い合って頂ければ幸いです(笑
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2011年07月04日

矛盾する青年論B

今回の青年達の行動は、インターネットを介して広がっていきました。
特に、東京での行動が際立っています。

やはり、それは身近に余震が起こる。計画停電も体験する。実際に放射能汚染に見舞われている。電車やエレベーターが日常的に止まっているなどなど。
自分達の生活に身近な部分で、原子力発電の問題と向き合わなければならなかったという客観的な要素が一番大きいのではないかと思います。

ここで自分達の身近な問題として、社会をとらえることの難しさが、現代青年の問題として大きく横たわっていると思います。

しかし、それを乗り越えるおおきなきっかけとなりうるのが、今回の動きであり青年のエネルギーではないかと私は見ていますグッド(上向き矢印)

いわれているような、「青年論」は確かにあります。私はそのことを否定するつもりはありません。しかし、その中からどうエネルギーを引き出していくのかが私達に問われているのだと思います。

高知でも、こうした動きはなくはありませんが、東京のようには行きませんね。
まだまだ、必ず起こる「南海大地震」への関心もひくいことはいなめませんあせあせ(飛び散る汗)


本日の体調60点。
うーん。なかなか一筋縄ではいきませんね。ぼちぼち行きます。
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2011年06月17日

矛盾する青年論A

現象を分析するのが、私達の任務だと思います。

しかし、私には少し荷が重いので、思っていることを書いていくしかありません。

3・11の原発事故以来、多くのデモや行動が連日のように行なわれています。
これは、私達より下の世代にとっては画期的なことです。

先日の高知での6・11 100万人アクションでは、ざっと見たところ何らかの組織に属している人が200人で、100人程度が組織に属していない人だと思われます。
直前まで、土砂降りだったことを考えれば、よくまあ集まったものだと思います。

6.11 No Nukes Action in Kochi

ネットやツイッター、フェイスブックなどを駆使し(私ではないナックスのメンバーが)参加を呼びかけました。
直前はかなりのアクセスになったと聞いています。

一人ひとりの青年が思っていることが「個人的願い」です。このままでは、行動するとはなりません。
この「願い」が同じものであるし、正当なものだと共通認識されてはじめて「要求」となります。しかし「要求」だけで、行動出来る人も少数だと思います。
もうひとつ、「実現の展望」がないといけないと良くいわれます。
こうなった時に、青年達は立ち上がるのだと言われてきましたし、実際そうだったと思います。

では、今度の現象はどうなのでしょうか。「人間として止むにやまれないもの」として、行動に立ちあがっているのではないかと私は思っていますグッド(上向き矢印)

6.11 No Nukes Action in Kochi

これからの、私達の役割はどこにあるのでしょうか。
自覚的な青年でも、日本が原発にこだわる理由としての利権構造のことを知りません。
この経済的な癒着を暴露していくことに私たちの独自の役割があると思えてなりません。

つづく
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2011年06月08日

矛盾する青年論@

このブログでも青年論について、のんびりと書いてきました。
簡単に言うと、短期的には悲観的な見方ともいえます。

しかし、先日開かれた労働者教育協会の総会においての私の発言はまったく違うものでした。

簡潔に言うとこんなものです。
「この間の情勢の最大の特徴はどこにあるのか。

ここ数十年以来ともいえる、青年達の立ち上がり。にあると私は思っています。(革新高揚期以来?)
この動きは特に、東京だけが突出しているわけですが、高円寺と渋谷とつづいた、脱原発の集会に、15000人といわれる人数が立ち上がった。

約8割は、組織されていない青年たちといわれています」。

中東の青年達の動き、このブログで紹介したマレーシアやシンガポールの青年達の動き。
これらと共通する行動力を現在発揮しつつあるのが現在の日本の青年達です。

http://nonukes.jp/wordpress/?page_id=87
増え続ける、全国の動きっ。

この動きに着目して、私達がどういうアプローチをしていくのかが今問われていると思っています。

この矛盾した青年論について書いていきたいと思っています。
つづく。

体調。本日60点。
ついに、新しい うつに聞くお薬 パキシルを今日から服用することとなりました。
現在服用中の デプロメールと一緒にあわせて飲んでいきます。
はてさて、どうなることやら。

posted by 井上 at 10:37| Comment(0) | 科学的社会主義の探求? | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月10日

青年結集に必要なことC

またまた、期間があいてしまいました。
まあ、ゆっくりと書いていきたいとおもっていますのでよろしくお願いいたします。

昨日は、学習協の常任理事会でした。労働学校のカリキュラムについて議論が分かれて、継続審議となりました。これ自体は積極面をもっているので、今後の努力にゆだねられます。
青年への接近の角度をあまりに柔軟にしすぎたため、「それでは労働学校と言えない」という意見です。わざとずらしている訳ではないので、もう一度練り直す予定です。

しかし、青年結集と言ったときに組合から見た次世代と私の考える青年とでは、やはりギャップがあることは事実なので、この辺りは一度整理したほうがいいと思います。
すでに、40代が次世代育成の世代となっているのですから。
新婦人も40代を育成する対象にしていますし。
どこまでが、青年なのかはずーっと議論がありますが、いまだに一致した見解は見たことがありません。
私が問題にするのは20代の青年についてです。

さて、本題に入ります。現代の日本において、青年をわれわれの側に結集していくことは、相当な困難をともないます。
前回の日記で、後退の一途にある現実から出発するべきであることを書きました。

これには、賛同する意見も頂いていまして、自分達のやっている活動スタイルを正しいと正当化化する意見に対する反発です。今のままのスタイルに固執するとそのまま衰退していくしかないからです(高知県の活動のことではありません)

可能性として、当然一時的に青年がほとんどいない状態も生まれると私は思っていますふらふら

いろいろな会議の総括文章や青年論の分析も、その時点でおいての断面をいわば横に分析しているものだと思います。

それは、ある意味正しいものですし、異論がある訳ではありません。

私が問題意識を持っているのは、むしろ縦といいましょうか、一人ひとりの青年がどういう環境でどういう教育の中で、どういう青年の文化の中で育ってきたのかという面に注目をしています。
それが、世代間ギャップを生み出していると考えているからです。

すでに、私の世代でも以前の青年達とはまったく違う環境で育ってきていることがうかがえる方針が印象に残っています。民青同盟の第22回全国大会(川田忠明さんが委員長だったと思います)2中委(記憶だけで書いていますので間違っていたらすいません)において、「すすんで相談にのろう、親切・友情を大切に」というスローガンのもとで、要求運動に取り組んだことを覚えています。

普通に考えれば、人間として当たり前のことを言っているのですが、そのことが運動スローガンとして太くうちだされ、具体的に細かく実践されなければ出来ないという状況にまで、ある意味人間としての足りないもの(語意が少ないのでふさわしい表現がみつかりません)をもったまま、大人になってしまったということです。
このことは、「奪われたものをとりもどすたたかい」といちづけられて運動化していきました。

しかし、同世代の青年から見れば、今の状況を客観的に見ることが難しく、これが普通ということになります。

それから、相当の月日が流れたこととなります。

つづく
posted by 井上 at 11:48| Comment(0) | 科学的社会主義の探求? | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年03月04日

唯物論とその発展に待つしかないのだが‥

最近、メンタルヘルスの相談も増えているし、昨晩のNHKクローズアップ現代をたまたま見て考えさせられました。

その番組では「境界性人格(パーソナリティ)障害」を紹介するものでした。

なんのことかと、いつもの「米国精神医学会の精神疾患の診断マニュアルのDSМ―W日本語版」をひっくり返してみる。700ページに及ぶ世界共通の基準として使われているものです。
わずか、4ページしか記載がありませんでした。

しかも、これは「いかなる診断をくだすのにも情報が十分ではない」という分類の部分に記載されてあるもので、番組で「詳しい専門医がいない」と述べていましたが、現在研究中の問題だと思われるものでした。しかも、治療方法も他の精神疾患と同じ治療しか行なっていない模様が、映し出されていました。
しかし、オーストラリアでは先進的な治療がおこなわれていると「認知行動療法」が紹介されました。この「認知行動療法」については、私に対する相談も増えています。

現在の日本では、保険点数の問題もあり実際に治療現場では行なわれていないと思います。
私達の問題は、その理論を批判し積極的に発展させることにあると思っているのです。

理論的背景になっているのは、「行動主義」です。
「行動主義 は心理学のアプローチの1つで、内的・心的状態に依拠せずとも科学的に行動を研究できるという主張である。行動主義は、唯物論・機械論の一形態であると考えられ、こころ-mind-の独在を認めていない。 多くの行動主義者に共通する1つの仮説は、“自由意志は錯覚であり、行動は遺伝と環境の両因子の組み合わせによって決定されていく”というものである」。ウッキペデイアより引用。

マルクス主義者である、EH・カーも「フロイト」の重要性を認めています。
これは、人間の解放において、「フロイト」がその問題に対して初めて言及したという意味においてであると、私は解釈しています。
現在の臨床現場においては、内観法という観念論が批判され、唯物論である「行動主義」が影響力をもっているのです。

まだ、読みかけのままになっていますが、ルビンシュテインの目指したように、科学的社会主義の立場に立った心理学体系の対置とそれにもとずく臨床心理学を打ち立てなければならないと思っているところです。これが独学で学んだ8年前の私の到達点でもありました。

しかし、その後わが陣営の哲学の進歩はどうなっているのでしょうか。
とても専門家でない、私の力の及ぶところではないにせよ、かなりお寒い状況が続いているのが現在の到達ではないかと思われてしかたがありません。

やはりしかたなく、ルビンシュテインやワロンの独習をつづけていくしかないのかなぁふらふら
posted by 井上 at 13:38| Comment(3) | 科学的社会主義の探求? | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年03月01日

青年結集のために必要なことB

ずいぶんと、日記が開いてしまいましたあせあせ(飛び散る汗)

2/2と2/4の科学的社会主義の探求? の続きとなります。
?の意味は、私の自身のなさをあらわしている、もがき苦しんでいるという意味と思っていただければ幸いです。予定を変更して、あと2回に分けて書きたいと思います。

@少し前提的な話しとなりますが、青年期の起源とはいつでしょうか。
それは、資本主義の発展とともに生まれてきたということになります。自由な人間が生まれなければ「人生をどう生きるのか」との問いも生まれようがありません。

A公教育の誕生も考えなければなりません。人類史的に見ればきわめて最近の出来事なのですから。
ルソー以来の人権としての教育と国家権力が必要な人材を育成していくという2つの面をあわせ持っています。

B権力を握っている側が、青年を大きく結集した歴史があります。そう15年戦争はもちろん、私が最近学習した日露戦争でも「戦争支持」が世論の大勢をしめましたし、「お国にために」尊い犠牲が払われました。

C戦後の青年たちは、民主教育などその他の要因があると思いますが、はつらつとしていたことがうかがえます。私の好きな本では、その内容から想像することができると思います。

山びこ学校 (岩波文庫) [文庫] / 無着 成恭 (編集); 岩波書店 (刊)

あまりにも有名ですが、優れた生活つづり方運動の実践の記録です。

D今、あらためて青年結集に必要なことは、1970年代の後半から青年学生運動は後退の一途をたどっていることを直視することから出発するのではないかと思われてなりません。
「青年は社会を写す鏡だ」「大人社会がたたかわない、スト無し国となっているのに」という議論もありそうですが、そういう面もあると思います。
しかし、一人ひとりの子どもたちが青年に成長していく過程そのものが、様変わりしてしまっていることの方により大きな問題があると思えてならないからです。

つづく


posted by 井上 at 09:28| Comment(0) | 科学的社会主義の探求? | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月16日

スキルアップ

昨日、あちらこちらと電話でお話ししました。
公務現場では、新入職員がかなりの高学歴となってきているため、「経済学」もなんらかの講義を受けてから入ってくるとのこと。

なので、勤労者通信大学のチューターも「ともに考える」という姿勢を貫きながらも一定のレベルでお話ししないといけないとの話しとなりました。
ふぅ。昨年の資本論学習が役に立っていますぴかぴか(新しい)

しかし、公務労働が搾取されているということを説明するには、第1部の理解だけでは不十分ですあせあせ(飛び散る汗)
いちおう、資本論は意地で読みはしましたが、「それは見たという程度」というぐらい、内容の方はさっぱりですバッド(下向き矢印)


霜田さんに相談すると、「やっぱり独習ですかね」と。
確かに、基本は独習でしょうがっ。レベルが違うというかなんというか‥

で、「見田石介著作集の資本論の方法」を勧められました。これをまず読みなさいとのことです。そのあと、2部3部に進んでも遅くはないと。

あいたたたっ。この「見田石介著作集」は私が民青県委員長時代に、高知大学の事務所においてあったのを、現O田理事が発見し「この本読んでる? いらないなら5000円で分けてよ」とのことなので、お互いにニコニコ交換をした文献ではないですか。おそらく、セットだったのではと推測します。
当時の私は、経済学を本格的に学んでいなかったため、その価値を見抜けずふらふら

見田石介著作集 第3巻

めちゃ高い古本を購入することとなりました。

学習協、若手事務局長の要請講座なんてあればいいのになあるんるん
posted by 井上 at 12:26| Comment(0) | 科学的社会主義の探求? | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月04日

青年結集のために必要なことA

@「次世代育成」「後継者育成」という言葉をめぐって
ここは、誤解されている方は少数だと思いますが、念のために触れておきます。
「後継者育成」をしなければならないことはいうまでもありません。
問題は、働きかける側が「後継者育成」をするために何をしたらいいのだろうか。という発想に立ってしまう危険がはらんでいます。
若い世代は、「育成」されるという角度から接近すれば、反発が生まれます。
図式的にいえば、組織を維持しなければならない→「後継者育成」となります。

労働組合や民主的団体に入ってくる青年の動機は様々ですが、基本的には「要求を実現」することを求めて入ってくるのです。その中で、それぞれの組織の大切さを実感し強く大きくしなければならないというふうに認識が発展していくはずです。
段階論になってはいけないのですが、この基本的な流れを押えた上で、取り組みを進めていかなければならないと思います。

A科学的社会主義の教育内容について
理論はどんどん発展しています。しかし原理原則が大きく変わるということではありません。
つい先日開催された、民青同盟の専従者用の中央幹部学校(4泊5日)のカリキュラムとレジュメを見せていただきました。科学的社会主義の講義もペースになっている文献が最新のものになってはいますが、基本的には同じ内容です。
ですから、私たちの(私は若く見えますが中年です(笑))科学的社会主義の理論のすごさをいくら強調しても、かみ合わないということになります。

B青年達の変化
青年・学生の本質(正義感があり、真理を探究する世代)そのものは、変わってはいないけれども、育ってきた環境が違うだけに青年が変化しているということも事実です。
私は、学生をしたことはありませんが、学生運動なら10年以上やっていた実績を持っています(汗
私達の世代では、まだ学生自治会も機能していた最後だと思います。学費値上げ反対のデモなどもやりました。しかし、クラス討論などはすでに出来る状況ではなく、一言カードに自分の思いを書いてもらいます。それをビラに貼り付けてすぐに配って、また声を集めるという繰り返しをひたすら続けます。(1日3回で1ケ月で世論はガラッと変わります)

時代は移り、みんなと一緒に学んだことがない。というのが今の青年達です。学園に山のようにあった自主ゼミも10数年前から姿を消しました。
学ぶことは、大学に入るためやスキルを身につけること。また自分を磨くこととしてしか経験していないし、周りの青年達も同じ状況だということです。

科学的社会主義の学びの入り口にどうしたら立ってもらえるのか。
次回はそのことについて考えてみたいと思います。
つづく

posted by 井上 at 13:29| Comment(0) | 科学的社会主義の探求? | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月02日

青年の結集のために必要なこと@

現在議論中の労働者教育協会の提言案には、こうあります。少し長いですが引用します。

「●基礎的理論の学習教育をすすめるうえで配慮すべきいくつかの問題
 いま、科学的社会主義の基礎的理論を扱う場合、注意すべき問題があります。第一に、一方的に結論を押しつける態度を避け、なぜこの基礎理論が大事なのか、なぜ学ぶ必要があるのかという問題意識を明確にすること、さらには基礎理論と現実の諸問題との関連を大切にする視点が重要です。とくに若い青年たちは、「二重の苦しみ」のなかで、生活と雇用の問題で苦しみ、生きることの悩みが深刻になっています。この彼らに科学的社会主義の基礎理論学習をよびかけるとき、この「二重の苦しみ」と無関係に、いくら正しい理論といって働きかけても、なかなか接点が生まれてきません。大事なことは、青年たちを悩ます「二重の苦しみ」やそのおおもとにある問題を解明するのに科学的社会主義の学習が必要であることを訴え、ともに考えようとよびかけることです。
第二に、基礎的理論を何かできあがったものとして固定的に見ないことです。この30数年の日本を見ると、科学的社会主義の基礎的理論の再検討が進んでおり、そのなかで大きな成果を生み出し、またいくつかの問題が引き続き検討されています。したがって、重要なことは基礎的理論を固定的に見ず、この間の検討の成果を踏まえ、さらに再検討されている問題に対する配慮が必要です。その点で、協会の教育理論委員会の役割が重要になります。科学的社会主義の基礎理論の動向を集団的に、組織的に検討し、学習教育における一致点を確認していくことが求められています。
 第三に、この間の新自由主義の影響により、青年たちのなかで社会に対する関心を失い、社会を科学的に合理的に考えることを避ける傾向が生まれており、そのことへの配慮が必要になっています。異常な競争主義のなかで、社会的に排除され、「自己責任」論の影響を受けることによって、青年たちのなかで、社会と真正面から向き合い、社会を科学的に考察することを避ける傾向が生まれています。科学的社会主義に接近する道がふさがれていることでもあり、言い方を変えれば、科学的社会主義の国民的基盤が崩されつつあるともいえます。したがって大事なことは、この崩されつつある科学的社会主義の基盤を立て直す努力です。その意味で、広範な青年層を対象とし、科学的で合理的な思考を取り戻し、社会を科学することの大切さを再確認する学習教育がきわめて重要になっています。科学的社会主義そのものの基礎理論教育とともに、その前提として、個人と社会、社会とは何か、民主主義と人権、社会を科学するとは、などの学習を重視することがきわめて大切になっています」。

相当深い分析がなされていると思います。

本日、霜田さんと日本の青年がエジプトの青年ように行動するのかとの意見交換しましたが、答えは同じくノーでした。

これから、学んでいきたいところですが、国家は教育によって必要な人材を育成していきます。つまり「国家は現代を生きる青年の精神」をある程度コントロールすることに成功していると私は見ています。

そこで、上野俊樹さんの著作集を借りて学んで行きたいと思ったところです。
なんとこの本の編集委員に上滝真生先生が入っているではありませんかるんるん

こちらからのアプローチが変わらないといけないと思う今日この頃です。

つづく
posted by 井上 at 16:06| Comment(2) | 科学的社会主義の探求? | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月14日

江戸時代について知りたいなっ

前回の日記以来、今年の学ぶ課題が見つからないまま、23日の学習会の準備に追われています。
それはさておき、資本論の講師団会議でも議論になってから興味を持っていることがあります。

日本における「本源的蓄積」についてです。これには、ご存じのように定説があります。
明治政府になってから、地租改正行い上からの改革で約20年で行われたというものです。

しかし、イギリスにおいて数百年もかかって行われたことが、わずか20年でできるのでしょうか?という疑問です。
となると、江戸時代をどう見るのかということになってきます。
江戸時代はホントに米作り中心の社会だったのかということも一つの疑問として浮かんできます。
確かに、米が一般的等価物の役割をはたしていたので、「蓄積」は出来ないという意見はよく聞きます。

これからの歴史学の発展の過程の中で研究されていくものではないかと思われます。

彼の著作も気になるところです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B6%B2%E9%87%8E%E5%96%84%E5%BD%A6
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2011年01月06日

今年の学習課題は?

私は仕事の一環としてしか、なかなか学習ができない人ですバッド(下向き矢印)

で、今年のテーマをどうしようかと考えているけれどなかなか見つからない。
岐阜のI池さんは、すばらしい論文を書いているみたいだし‥

@科学的社会主義の哲学の理論の発展がない(と私は感じる)ことは以前から問題意識をもっています。ここが、青年を結集していく上でもネックの一つであると思われて仕方がない。
とりわけ、そこから発展するはずの心理学を学びたいのであるが、現在発展中の文献を私は知りません。もしあればお知らせださいね。昔は、乾孝さんとかおられたのにふらふら
ルビンシュテインやワロンは、挑戦しつつ挫折したまま。
いずれにせよ、私は研究者ではないのでこれらの到達を学びは出来るが、発展させることはできない。最新の理論ではないのである。

A現在中断している、アントニオネグリ「帝国」の自主ゼミの再開及び学習を進めていく。
確かに、はじめの部分を読む限りにおいては学ぶべき部分は少なくなさそう。
これだけ、各国訳に翻訳されている文献でいまなお影響力をもっている本も少ないと思う。
フーコーの影響は、確かに納得できる部分もあるし‥
しかし、本格的に力を入れてやっていくのかとなると躊躇もなくわない。

B昨年、駆け足で必死で学んだ資本論の第1部をもう少し整理していく。
これが、今やるべき現実的なものであると思うのだが‥

ということで、あれやこれやと考えながら仕事はじめの頃には目標を決めたいなグッド(上向き矢印)




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2010年10月01日

アントニオネグリ 「帝国」 グローバル化の世界秩序とマルチチュードの可能性 途中経過

この本の学習会は、あくまで自主ゼミとして取り組んでいるため、日記にするのかどうか躊躇しましたが、そのことを踏まえた上で書いていきたいと思います。

昨日、来高中の東大院生も交えてY岡、霜田、井上の4人で第1部の独了および意見交換がおわりました。

思った以上に、膨大な領域を扱っていますし、イタリア人によって書かれたという事情もあります。また、和訳する上でのニュアンスの問題もあります。(主権→国民主権と普通とるが、地域主権という場合の主権とは意味合いが異なる。など)

率直なところ、1/3は「新たな刺激を与えてくれて、納得できる部分」がありまするんるん
1/3は、「少し違うのではないか」という部分があります。霜田さんは、ドイツが専門の一つでもあり、EUにも詳しいのですグッド(上向き矢印)
のこりの1/3は、ネグリが言わんとするところが「分からない」という感じです。

今回の到達の上で、どうして行くのかが議論になりました。

とりあえず、録音してある討論を拾い直して、「論点整理」をすることとなりました。

500ページを超える大著です。大きな影響力を与えているこの著作としばらくのお付き合いとなりそうですー(長音記号2)
posted by 井上 at 13:40| Comment(0) | 科学的社会主義の探求? | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月27日

基本がまだ不十分なのに… まあ〜いろいろ学んでみますっ

日曜日に迫った、「18才からの資本論講座」の私の原稿を、講師団会議でたたきました。
ものの見事に、ほとんどダメとあいなりましたもうやだ〜(悲しい顔)

自分でも、「労働日」の部分をべたっと、書いてしまったので、準備なく来た受講生にはちょっとどうかな?と思っていましたが、「18才からの資本論」らしく、バッサリと中心ポイントを絞って、ようやく書き直したところですグッド(上向き矢印)

会議で話題になったのは、遠距離からの受講生です。愛媛県松山市から通ってくるI葉さん。「しかし、あんなに遠いところから来るとは、私ならようこん」とか。「けんど、今度からは東洋町(高知県の東の端。徳島との県境。こちらも片道2時間以上)から、中途入学できますよ」などと、受講生の意欲の高さに応えるものにしないといけないねということでしたるんるん



話しかわって、Y岡常任理事が一緒に学習会を開こうと、自主ゼミを開催することとなりました。
今、新たに影響力をひろげつつあるイデオロギーの、オリジナルに挑戦することになりました。

<帝国> グローバル化の世界秩序とマルチチュードの可能性

<帝国> グローバル化の世界秩序とマルチチュードの可能性

  • 作者: アントニオ・ネグリ
  • 出版社/メーカー: 以文社
  • 発売日: 2003/01/23
  • メディア: 単行本




メンバーは、他に霜田さんと私です。

学習協メンバーの自主ゼミですね(汗

私は、基本(資本論など)がまだ、しっかり分かってないのにと少し躊躇したものの、Y岡氏の情熱に圧倒されて、始まりました。週1回3時間の学習会です。

「現在の共産党宣言」なるものと言われているが、はたしてどうか?
左派からの批判も強いものがあるようです。
うーん。文章は読みやすいものの、中身をつかむのがなかなか大変ですね。
まあ、継続こそ力で読んで行きたいと思います。

ちょうど、私が体調を崩してリハビリしていた頃に出版された本ですね。
少し、古くなっている部分は、補いつつ読まないとと思っています。

どなたか、すでに読まれた方は、コメントなど頂ければ幸いでするんるん


P1020624.JPG
posted by 井上 at 14:53| Comment(0) | 科学的社会主義の探求? | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年04月15日

ひさびさに体調不良で、だめだめな日となりそうです

今朝の冷え込みは、急激ですね。
私の体調も、ガタ崩れを起こしています。(泣

「意欲の低下」「集中力がない」「眠気」などなどです。
ここ、数年で最高に調子がよくないです。1日で治りますけどね。
で、本日は仕事はあきらめてこの状況を科学的に考えてみることにしました。

手元には、「心の唯物論と人格性の問題」という論文(2001年)があります。武田一博 沖縄国際大学教授の方の論文です。
私の問題意識にピタッときた、論文でした。

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 わが国の唯物論陣営を見れば、いまだに人間の認知過程を「意識の反映機能」で捉えようとしたり、心的過程を「現象学」的に、内観の主観的報告にのみもとづいて理解しようとする傾向が根強く残っている。
こうした議論が、現代唯物論哲学の標準的見解だとしたら、これは古臭いスキームを固辞しているだけであり、その唯物論は過去の遺物と見なされるであろう。
 唯物論が科学的議論でありうるためには、心や人格を脳-身体のニュートラル・ネットワークに基づいて理解し、説明しなければならない。
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一般に、精神疾患は脳の病気であると理解されているし、大きくは外れていないと思います。
しかし、狭い脳内伝達物質の問題として研究がすすめられていたり、その薬理作用により問題解決をはかっていくアプローチが一般的です。

また、我々の陣営はどうかというと、あまり問題意識を持っていないのが、現状ではないかと思われます。
しかし、科学的社会主義の理論は人間解放を目的としている理論であり、現代社会において理論の発展がもとめられているのだと強く感じます。

よくいわれるし、実際そうなのですが、季節の変わり目には体調崩す人が多いのです。では、なぜそうなのかを問わなければいけないし、理論がよりよい暮らしをする上で役に立たなければならないと思う今日この頃です。

いずれにせよ、まわっていない頭で考えてもこれ以上は無理なので、今回は問題提起という形にて、日記にしてみました。

posted by 井上 at 13:23| Comment(0) | 科学的社会主義の探求? | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする